【無能から有能へ】「本当に優秀な人」と「そこそこな人」の目線の差はどこにあるのか?

セルフイメージ
この記事はこんな人におすすめ
  • 自分の能力や成果がどのように評価されるのか不安に感じている人
  • 自分の目標や夢に向かって努力している人
  • パワハラやストレスに悩んでいる人

ども。過酷なパワハラ環境から自力脱出した脱獄リーマンこと高岡と申します!

世の中、口を開ければ、やれ「もっと頑張れ」やれ「成績1位」などと組織の中では人と人を比べてばかり。実際問題、これを身に付ければ絶対安泰、みたいなスキルはあまり無い、というか資格とかスキルで判定出来ないような事って山ほどあるよね。

そもそも人の評価に絶対的指標は存在するのか考えてみたのがこの記事で、結論としてはあまり見当たらない。じゃあ、ほとんど相対的指標で計られるこの世の中だと理解した上で、どうやったら「あいつは絶対的にやべぇ」と思われる人材になれるのか、パワハラ脱出経験からまとめてみた。考え方としては至極シンプルだったよ。

絶対的指標とは? 

「これさえ見ておけば優秀かわかる指標なんてあるのか」

絶対的指標は、他者との比較や主観的な意見に依存せず、個人のパフォーマンスや能力を独立して測定できる指標の事。あるにはあるのだけど、組織の中に入るからには、こんな都合の良い指標はほとんどないに等しくなる。

人の能力や成果は、ある程度の主観性を伴って評価されることがほとんどなんだ。試しに絶対的指標と思しき指標をいくつか見てみよう!

絶対的指標を使用するケース

国家資格のあるなし

「医師やってます。前職警察官で医師免許はないです。」(違法)

これが唯一と言えるのではないか、という絶対的指標だと思う。国家資格がないと法的に出来ない仕事がある。弁護士事務所において、弁護士資格のあるなしは圧倒的な差をうむ。評価という小さな括りどころか、基本給という名の評価軸から別次元に入る。

ただ、中には国家資格だからと言って無くても意外とこの仕事はやってもいい、という範疇があったりする。ハードルが低い資格はレアリティもないので価値は高まりづらい。

よく転職のために「資格を取りたい」みたいな人がいる。それなりの資格でなければ有能無能には関係しないので、ぽっと出で取れる資格は僕はコスパがあまり良くないと思っている。資格取得は、ハードルが高いものはそれ自体が目的になってもいいと思うが、そうでなければ取得は目的ではなく、手段として活用すべきかな。

資格試験のスコア

「TOEIC800あるのに英語しゃべれねえんだ俺・・・」

受験者の点数は絶対的な基準点に基づいてあれくらいできる、これくらいできる、と評価してんでしょ?と。もちろん990点満点を取ってたらそれは凄い。絶対的指標に見えるけど、組織の中ではやっぱり違う。

組織の中ではそういう絶対的指標の視点だけで見てられないんだ。組織の中でTOEICの点数が400点の人しかいなければ、会社で優秀とされる点数は悲しいかな600点になる。外資系企業なら周りは皆860点を超えている。それならば990点取ったらやっと「いいね」と言って貰える。

あとは、「でも実際に英語使えんのか?」って部分の方が問題になる。結局、切り取られた組織の中では「あいつはこいつより英語ができる」みたいな相対的指標がされるんだ。

達成目標

「売上高100億円を超えられるかどうかが合否の分かれ目です!(断言)」

事前に定められた販売目標やプロジェクトの納期など、個人またはチームが達成すべき明確な目標。これらは個人の努力と結果に直接的に結びつく絶対的な指標だと思える。これも違う。

販売目標は前年比や市場の競合他社によって決められることが多く、相対的に決められた指標になるよね。では、社長の一存で前期売上高100億円に対して今期は売上高500億円と言われるとしよう。それでも、課せられたノルマに対して例えば全員が未達成なら、その中で1番頑張ったヤツは基本的には責め立てられない(=評価されている)わけだ。

時間厳守

「わたしの特技はプロジェクトを締切までに必ず終わらせることよ」

出勤時間やプロジェクト納期など、指定された時間内に求められる活動を完了させること。これによって、個人のタイムマネジメント能力が絶対的な基準で評価される。これまでの説明に当てはめると、これも違うよね。

全員が締切までに完了できなかったなら、締切設定がおかしいし、どれだけ締切近くに終わらせられたかで相対的に評価されるでしょう。全員が締切までに完了できたなら、締切厳守自体はそれほど評価に値せず、締切までにどれだけパフォーマンスが上げられたかが相対的に評価されることとなる。どちらにしても相対的になっちゃうよね。

絶対的指標の限界 

「渡れれば天国、渡れなければ地獄」・・・という世界は少ない。

絶対的に決められてそうな指標は、個人のパフォーマンスの特定の側面を測定する上で有効であることを示しているのは間違いない。一方で人事評価となると結局閉じた範囲内での相対的評価でしか、良い悪いが語られないんだ。

人間の行動や成果は複雑なんだけど、結局自分が属する組織にどういう人がいるのか、が影響力が大きい。その中で相対的に評価されることが大半だ。だから、会社の中で優秀と言われるためには、まずは周囲の人たちの中で抜きんでれば良い。

それじゃ井の中の蛙にならん?

「零細企業で売上トップ取ったと思ったら売上ワーストワンの会社だった。」

その通りです。実は「とりあえずそう考えよう、段階的に話を広げよう」って話なのです。ここで止まってしまうと伸び代も知れてる。だって周り全員が適当にやってるところでトップ成績で活躍しても世界で活躍出来るわけないしね。

最初は、組織の中で抜きん出ようとしてみよう。ある程度それが見えてきたら、範囲を広げていこう。例えばこんな感じ。

  1. 同じ課やセクションの同期
  2. 自分の課やセクション
  3. 自分の部
  4. 関連部門
  5. 会社(全部門)
  6. 同国内の競合他社
  7. グローバル競合他社
  8. 別の業界

必ずこのような縦の順番では無いけど、そこで活躍してる人達を抜けるように努めていけば、相対的指標を見ていくだけで、会社内で信頼を得られる人材になるのは全然可能なことなのである!

グローバル競合他社から見ても、仕事が早い、高い成果をあげる、そんな組織や個人は会社内でもずば抜けて優秀になるよね。

終わりに

絶対的に決められそうな指標が提供できる客観性は、公平で透明な評価システムを構築する上では確かに貴重だ。

けれども、評価のプロセスにおいては、相対的な指標であるという視点を取って指標に適切なコスパで取り組んでいくことで、最小の努力で最大のパフォーマンスが出せるはずだ。

そして、相対的評価の範囲をどんどん広げていけば、どんどん優秀な人材になれる。それが回り回って会社に貢献し、自分の評価・給与に返ってくるよ。

頑張ろう日本のサラリーマン!それでは!

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