【ゼロイチ判定】成果を正しく判定する考え方

ストレスの軽減方法・テクニック

できるのか!できないのか!極論の二択を突きつけられたことはないだろうか?何事もゼロイチ判定をするような人は色々な場面でチャンスを逃したり、信頼関係を失ったりする。

この記事はこんな人におすすめ
  • 極論ばかり言う同僚(部下・上司)がいる人
  • 努力を続ける方法を知りたい人
  • 成果が出なくて悩んでいる人

ども!過酷なパワハラ環境から自力で脱出した脱獄リーマンこと高岡遥也です!

この記事では、ほとんどの事は、ゼロイチ判定ではなく程度問題で考える方がうまくいく!ということを説明したい。

ゼロイチ判定の是非

ゼロイチ判定の是非

端的に言えば

  • 目標はゼロイチで設定しても良い
  • 現実はゼロイチ判定だけで考えるな

である。

走り幅跳びに例えるとわかりやすい。目標は高く持って「ここまで跳べ!」とすれば、最高記録が出やすい。その結果を「できたか、できなかったか」で評価するのは勿体ない。「どこまで跳べたか」で評価するのだ。

ゼロイチ判定とは何か

ゼロイチ判定とは、物事を「できるかできないか」「やるかやらないか」「AかBか」などの二者択一で判断することだ。このような考え方は、時には有効な場合もあるが、多くの場合は現実にそぐわない。

例えば、英語ができるようになる!という目標を立てたとしよう。「英語ができるようになったか、なってないか」というゼロイチ判定をしてしまうと、どうなるか?

まず、英語ができるとは何だ?どのレベルのものを指すんだろう?

ぽてこ (努力型)

I’m a salaryman!

って言えたら、英語は少しできると言っても嘘では無いんじゃないか?(ちなみにSalarymanは間違った英単語です。)

じゃあTOEICで600取ったら、英語ができると言えるのか?それでも話せない人の方が多いまである。

これらの問いに対して、一様な答えは無い。自分で決めないと基準がないままなんだ。基準がないと「なんか英語できるようになった気がしないから辞めるわ」が確実になる。人によって、目的や状況、能力や興味、資源や制約などが異なるよね。だら、「英語ができるか、できないか」というゼロイチ判定の目標設定は、あまり意味が無いんだ。あと、その考え方の傾向性が強いひとは、停滞期にかなり高い確率でリタイヤするね。

与えられた環境下で「どのレベルを目指すか」「今どの地点にいるのか」と程度問題で考えるんだ。

ゼロイチ判定をやめるメリット

物事を程度問題にして捉えてみると、次のようなメリットがある。

  • プランを複数にして考えられる
  • できるようになる(1にする)条件が明らかになる
  • できない(0である)と諦めることが少なくなる
  • ものごとの複雑さを知ることができる

プランを複数にして考えられる

ゼロイチ判定では、物事を二極化し、選択肢が限られてしまう。大谷翔平になれるか、なれないか。99.99999%の人たちにとっては「無理!」愚問だろう。

程度問題とすれば、物事を細かく捉えることができる。

例えば、「英語の資格を取るか取らないか」という考え方を止める。そして、「英語の資格をどのレベルまで取るか」という問いに変える。そうすれば、今何点取れるようになったか、で評価ができるようになる。

英語の資格を取るために「勉強するか、しないか」という問いに対しても、同じように考えられる。「毎日1時間勉強するか」「週に3回英会話教室に通うか」「オンラインで英語のコースを受けるか」など、程度で捉えれば様々なプランを考えることが出来る。つまり、自分に合った最適なプランを選ぶ心の余裕も生まれる。

できるようになる(1にする)条件が明らかになる

ゼロイチ判定では、できるようになるために必要な条件が見えにくくなる。しかし、程度問題では、物事をできる度合いで判断するため、できるようになるために必要な条件が明らかになる。

例えば、英語の資格を「取れるか取れないか」という考えをやめる。そして「英語の資格をどのレベルまで取れるか」という問いに変える。すると、そのレベルに達するために必要な英語力や学習時間、学習方法などがわかるだろう。

また、「英語の資格を取るためにはどうすればいいか」という問いに対しても、「どのような教材や教室を利用するか」「どのようなフィードバックや評価を受けるか」「どのような環境や仲間を作るか」など、具体的な条件が見えてくる。これにより、自分ができるようになるために何をすべきかがどんどん明確になっていく。

できない(0である)と諦めることが少なくなる

ゼロイチ判定では、物事をできないと判断すると、それ以上の努力や挑戦をしなくなりがちだ。しかし、程度問題では、物事をできないと判断しても、できるようになる可能性や方法があると考えることができる。

例えば、「英語の資格を取れない」と判断してしまうのをやめる。「英語の資格をどのレベルまで取れるか」という問いに変えよう。すると、自分の現在のレベルや目標のレベル、その差を埋めるために必要な努力や工夫などがわかるだろう。

また、「英語の資格を取るためにはどうすればいいか」という問いに対しても、「自分の弱点や課題を見つけるか」「自分の学習スタイルやペースを見直すか」「自分のモチベーションや目的を明確にするか」など、改善の方向性がわかる。これにより、できないと諦めることなく、できるようになるために挑戦し続けることができる。

ものごとの複雑さを知ることができる

ゼロイチ判定では、現実の複雑さや多様さに気づきにくくなる。

スケープゴートという言葉をご存知だろうか。なにか悪いことがあったときに「こいつが原因だ!」となすりつけられる対象のことだ。

物事は常に単純ではない。それを、大多数の人は見ないフリするんだ。だから、スケープゴートを確保すれば皆が安心するのだ。日本の停滞30年は政府が悪いと言えば簡単だけど、政府が変わって良くなる保証がある訳でもない。自分の努力次第で金持ちになっている人もごまんといるよね。でも、政府が悪いと言えば、真理がわかった気がしてスッキリするのだ。

程度問題で考えた場合、物事を多角的に捉えることができるため、現実の複雑さや多様さに気づくことができる。

英語の資格の例え話

英語の資格が取れなかったのは俺の怠慢さが原因だ!と断定するのは、怠慢さをスケープゴートにしている。そういう人は、英語の勉強をすぐ諦めるだろう。

  • なぜ怠慢になったか
  • テストはいつもより難しかったか
  • 勉強方法が間違ってなかったか

いろんな視点を取り入れれば、努力資産を0にするという行動は取れないはずなんだ。

「英語の資格を取れたかどうか」ではなく、「英語の資格をどのレベルまで取るか」という問いに変えよう。英語の資格と言っても、単一のものではなく、様々な種類や目的や難易度がある。

また、「英語の資格を取るためにはどうすればいいか」という問いに対しても、「英語の資格を取るためには、どんなことが必要か、どんなことが効果的か、どんなことが楽しいか」など、様々な視点や要素があることがわかる。ものごとは思っているよりシンプルではなく、複雑で多様で面白いものであるのだ。

あれこれ考えると判断がつかない時に敢えてシンプル化して判断してしまうのは良いことかもしれない。でも、最初から物事はシンプルだと決めてかかるとミスリードする。

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「仕事とはこういうもんじゃ!」という変なこだわりを持つ中年の先輩。これもゼロイチ判定の思考から来ているはず。

モーリーロバートソンさんの東大王・論破などの日本の文化に物申す記事。論点は違うけど、ゼロイチ判定の危険性を語られてます。面白いです。

こうして陰謀論者が増えていく…モーリー・ロバートソンが「日本人のクイズ番組好き」を危険視するワケ 考えない人ほど「論破王」が大好き (2ページ目)
――どんな議論なんですか。答えがない問題をわざわざ選んでディベートが始まるんですよ。死刑制度はありかなしか。女性を軍人にすることは倫理上ありかなしか。中絶問題はどうか、進化論を否定する人に言論の自由…

おわりに

以上、程度問題で考えるメリットを書いた。ゼロイチ判定は、目標設定時には有効な場合もある。しかし多くの場合は現実にそぐわない。したがって、ほとんど何事にも、ゼロイチ判定ではなく程度問題で考えてみようとした方が良いということを覚えておいて貰えればと思います。

それでは、また!

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